糀屋三左衛門の歴史

種麹の伝統を、未来へ。室町時代、良い麹を作る方法のひとつとして種麹作りが始まったと伝えられています。糀屋三左衛門は常にまっすぐに麹と向き合い、「良い麹」とは何か麹一筋で考えてきました。六百年という長き伝統のもとに代々研究を積み、製法の改良を重ね、高品質の種麹を製造しています。これまでも、これからも、種麹を通じて日本の食文化の発展に尽力していきます。

  • 屋号「黒判」の由来となった足利13代将軍義輝より賜った許し版。
    当社の先祖が足利幕府の許可を得て「酒こうじ座」の一員としてこうじ製造業に携わり、木灰の活用などを考案し種麹業をはじめたと伝えられております。その許可証として、先祖伝来の家宝の木版にて柳墨(墨色)で刷り、種麹を入れる袋に押印して販売したため『黒判』と呼ばれるようになりました。

  • 京都時代に使用していた升印のれん。
    往時「マス」印を使うのは穀類問屋、札差業に多いと言われ、当社の先祖も京都にて代々札差を業として「桝屋三左衛門」を名乗り、名字帯刀を許されており、その後『糀屋三左衛門』と呼称するようになりました。

  • 京都商工業別創業年代番付で横綱として発表された番付表。

  • 京都で営業時店頭にかけていた「黒判もやし」の看板。文字は「うるし」で印されており、その部分が浮かび上がっています。京都時代の住所「大宮通下立売下ル」との記載が読み取れます。

糀屋三左衛門のあゆみ

創業から明治時代

 当社の先祖は京都にて代々穀類問屋・札差を業とし「桝屋三左衛門」と名乗っておりました。室町時代に足利13代将軍義輝公の許可を得て、北野天満宮の「西京麹座」の座員として麹業を始めました。その間、木灰の活用などで「種麹」の製法を考案したと伝えられておりますが、資料としては残っておりません。しかし、京都市内の業者から木灰を19代に亘って購入していた記録が残っており、このころから木灰を使った種麹の製造をしていたと考えられます。
 足利将軍からの許可証として伝来する木版には、柳墨を塗って使用したことから「黒判」という屋号で呼ばれるようになりました。江戸時代までは当社の他に「赤判」と呼ばれるもう1社と2社の独占状態が続きました。江戸時代後期から大正期にかけては、種麹業者が多数現れ、産業の発展と共に業界も活況を呈していたようです。




糀屋三左衛門山城工場
京都時代に使用していたパンフレット
写真は昭和31年に建設された本社工場



豊橋への移転

 京都にて種麹業を続け、太平洋戦争のころには、京都にて社長である長男の下、兄弟で力を合わせて社業を盛立てていました。昭和40年、三男にあたる村井豊三(現名誉会長)が豊橋にて分離独立をしました。豊橋を選んだ理由は当時新幹線が開通し、東京大阪両面、また味噌醸造が盛んな信州地方への便が良かったこと、愛知県は八丁味噌、溜り醤油、白醤油にはじまり、清酒、みりん、酢など醸造文化が盛んで種麹の需要がみこまれたこと。また、戦時中に駐屯したことがあり知己を得られたことなどです。分離独立当初から豊橋の人々には大きな支援を得て社業を隆盛していきました。やがて、京都本家が事業を閉鎖することとなり、伝来の許し版など営業権、商標権を譲り受けることとなりました。



池見町時代の研究室
池見町時代の研究室


出陣式
酒造繁忙期に行われていた営業社員の出陣式
豊橋から全国各地へ種麹を配送しました。


ビオックの設立

 豊橋移転後も種麹メーカーとして成長を重ね、平成を迎えるころにはシェア40%近くを占める業界有数の会社となりました。このころ、バイオテクノロジーに注目が集まり、微生物に関し豊富にノウハウを持つ当社にとっても大きなチャンスとなりました。しかしながら、「糀屋三左衛門」という名称ではバイオテクノロジーのイメージを想起しにくく、伝統を受け継ぎながらも、より一層、研究開発型企業として発展し、麹菌をはじめとする微生物の可能性を開拓していくため、「株式会社ビオック」を設立し、研究製造部門と営業部門の大半を譲渡しました。糀屋三左衛門は伝統を守る企業として清酒用種麹や一般向け商品の販売を行う会社として役割を分担することとなりました。



株式会社ビオック第二工場外観
株式会社ビオック第二工場外観
麹加工食品の製造を担う


種麹の伝統を未来へ

 21世紀に入り、麹にも伝統や健康など様々な面で注目があたるようになり、「麹ブーム」と呼ばれるほどの活況をていしてまいりました。しかしながら、その中には単なるブームに乗っただけの効果効能が疑わしい商品、品質がおざなりになっている商品も、また市場に出回ることとなっています。当社は、社会の公器として、日本の文化に貢献する会社として、消費者の皆様に確かな商品をお届けすることで、麹が作り出してきた日本の食文化を後世により良い形で伝えて行くべく、一般消費者に対する事業にも力を入れ、社会の公器の責任を果すべく研鑽を重ねてまいります。



糀屋三左衛門の年譜

室町時代
京都で創業(約六百年前)、札差業を営んでいたと伝わる
室町時代後期
足利十三代将軍義輝より許し版を賜る(屋号「黒判」の由来)
江戸時代
三河、灘のあたりまで種麹を頒布。種麹業を行っていたのは2社のみと伝えられる
明治後期
当社以外の種麹業者が多数生まれる。醤油用の種麹製造をはじめる
昭和20年
福島県会津若松市に疎開工場を設置、京都本家三男村井豊三が工場長として赴任
昭和27年
京都商工会議所より府下工業部門の最古の老舗として表彰される
昭和28年
終戦にともない会津工場閉鎖、村井豊三が京都に戻る
昭和39年
京都新聞主催「京都商工業別創業年代番付」で横綱として発表される
昭和40年
常務であった村井豊三が、京都より分離独立し愛知県豊橋市池見町にて新会社を設立する
昭和45年
京都本家長男第26代当主村井三郎より商標権等の譲渡を受け、村井豊三が第27代当主となる
昭和46年
現在地(愛知県豊橋市牟呂町)に新工場を建設する
昭和55年
第一期クリーン工場建設
昭和60年
パーフェクトクリーン工場建設
平成3年
第27代豊三長男 村井總一郎が第28代当主となる
平成4年
研究開発型企業として株式会社ビオックを設立
平成7年
株式会社ビオックとして第二工場を建設
平成11年
第28代当主村井總一郎 理学博士号取得
平成15年
現社屋完成
平成19年
第28代当主 村井總一郎 翁名として村井三左衛門を名乗る
平成27年
小売り事業全国展開を開始
平成28年
第28代總一郎長男 村井裕一郎 第29代当主となる
平成29年
ローマ法王庁大使館にて『糀屋三左衛門のあま酒』が献上される